高千穂の夜神楽とは、
どんな歴史があるか知っていますか?
日本の伝統芸能である夜神楽・・・
名前は聞いたことがあっても、
あまり詳しく知らないという人が
多いのではないでしょうか。
ここでは、高千穂の夜神楽について、
ご説明していきます。
高千穂の夜神楽の歴史って?
高千穂の夜神楽の歴史とは、
どういったものなのでしょう。
まず発祥は、平安末期から
鎌倉時代にかけてと言われています。
開催時期は毎年11月から翌年2月上旬です。
18ある集落の中で、
鑑賞できる日は限られています。
10月に各集落の祭日が発表されるので、
毎年要確認となります。
高千穂では、収穫の時期が終わると
氏神様へのお祭りが始まります。
これは、秋の収穫の感謝と、
翌年の豊作の祈願してのものです。
氏神様を公民館や神楽宿に招き、
夜を徹して神楽を奉納するのです。
高千穂の人々により受け継がれ、
守られてきた伝統芸能なのです。
これを、一般向けにも高千穂神社や天岩戸神社でも
披露される祭があります。
国の重要無形民俗文化財として、
高千穂神社では年間を通じて
観光客向けに鑑賞できます。
高千穂の夜神楽の魅力とは
高千穂の夜神楽の魅力は、
静と動を織り成す舞です。
高千穂の夜神楽は、
有名な天照大御神が発端となっています。
天照大御神が岩場に隠れる舞いは、
本当に静の動作そのもの。
ぜひこの見どころを、これからの人にも
受け継いでほしいです。
しかし、やはり今や日本は
どこも高齢化社会となってしまいました。
高千穂の人々が支えているこの夜神楽も、
高齢化は免れません。
また、この夜神楽を舞う
神庭と言われる場所は、女人禁制!
地元の消防団や、組合により
長きにわたり守られてきたのです。
どんどん歴史的な文化が失われつつありますが、
未来にも忘れられず残ってほしい、
そんな魅力ある祭です。
地区ごとに誇りをもち、
代々伝え守られてきた伝統芸能。
これから先も、地域だけでなく
日本全体として守っていきたいものです。
まとめ
高千穂の夜神楽は、
自分もぜひ見に行きたいもののひとつです。
最近の若者など、伝統芸能や舞踊に
興味が薄れている印象です。
しかし、年配の人の見るものというイメージは
拭って欲しいです。
確かに、観光客も
比較的年齢層は高めかもしれません。
ですが、若いうちに
伝統に触れておくのはとてもいいことです。
他にも様々な伝統工芸、
伝統芸能が日本にはあります。
ですが、それらを守る人が
減ってきてしまっているのが現状なのです。
少しでも多くの若い世代に伝えることで、
受け継がれる可能性は広がります。
新しい文化を取り入れ、
新たなことにチャレンジするのは
とても素敵なことです。
ですが、歴史あるものを
守り続けることも意味があります。
将来、遠い未来では様々なものが
失われることでしょう。
ですが、誇りを持ってそれらを
守ってきた人たちがいるのです。
高千穂の夜神楽も、氏神様への収穫の感謝や
翌年の豊作への祈願など、
とても趣あるものです。
荒神様と呼ばれる山の神と、
水源の神を招き、里人と共に舞を楽しみます。
そして、別れを惜しみつつ帰られる神なのです。
各集落により、舞う順番が異なり
また違った楽しみがあります。
同じ夜神楽でも、集落により違うのです。
その都度違った迫力、面白さ、
情緒深さなど楽しんでほしいです。
一つの舞で約20分、
長ければ一つ一時間もかかるそうです。
それを歌い舞い続けるのは相当ハードなはず。
それでもここまで続いたというのは、
地元の人に愛されてきたからです。
氏神様を祭り、秋の収穫を感謝することは
日本全国あります。
豊作を願っての祭りはどこの集落にも
存在するものですが・・・
高千穂の夜神楽は、
国の重要無形民俗文化財に指定されるほどです。
五穀豊穣を神に感謝し、
夜通し舞い踊るまるで神話の世界。
フィナーレでは紙吹雪が舞い、
寒い時期だが、みな充実感に満たされます。
慣れない行いを夜通し見ていると、
夜中にはうとうとされている人も
いるようですが。
それはそれで、また面白おかしく
見えるのではないでしょうか。
五穀豊穣、楽しい祝いのお祭りなのです。